恋する季節 7

 稲垣の目が閉じたのを確認すると、腕を伸ばして先ほどのシャツのポケットからタバコを取り出した。後一本しか残ってない。僕はほんの少し躊躇したが口にくわえて火をつけた。味わって吸ってると隣の体が動いた。
「なんだ、寝たんじゃないのか」
「ベッドでタバコ。マナー違反」
「出した後の一服はうまいんだよ」
「オヤジみたい」
「ふふ、専務は吸わないのか」
僕は稲垣に顔を寄せた。
「その顔かっこいい」
「は?」
「前髪乱れてる。メガネやめてコンタクトにすればいいのに」
「そこまで視力落ちてないんだよ。話そらすな、稲垣、専務と寝てんだろ?」
間が空く。僕はタバコを吸い終え、火を消した。
「たくさんの夜の内のたった一つに過ぎないよ」
「え?」
「専務とは別になんでもない。結婚のこと相談してたら一度むらっときただけ」
てことはやってんじゃん。
「結婚しちゃうともうできないでしょ。あたし、今の内にセックスしまくりたいの」
すごい考え方。その嫁入り前のやり納めの相手に僕が抜擢されたってわけですか。やれやれ。
「あたしのダンナさんになる人、頼りないから」
稲垣は宙を見つめ、愚痴を言いはじめた。稲垣の男は東京の仕事をやめ、家業を継いで新潟の実家の近くに家を(親が)建てて住むのだが、その家の設計も結婚も全て親が仕切って男はその言いなりなんだそうだ。
「元々セックスの相性よくなくて不満だらけだったのに、怒り倍増って感じなの」
まあ、男に満足してないから今の状態になるんだよな。僕も他人のこといえない。
「どうしてそんなやつと結婚決めた?」
「結婚するならお堅い方がいいかなって思ったのよ。あたし、ずっとやり逃げする男ばっかだったから、あいつのひたむきさに釣られちゃったの。こんなんだけど子供は欲しいしね。なら、マイホームパパの方がいいでしょ?」
「やり逃げって、妊娠したとか?」
「ううん。でも、したかなってひやひやしたこといっぱいあった。それいうとみんな逃げちゃうの。最低よ」
うーん、どうなんだろう。僕はなんとも言い様がない。稲垣は避妊手段としてリングを入れてる。
「アイツね、よく考えたらプロポーズの言葉もないのよ。お正月に軽い気持ちで遊びにいって、それからとんとん拍子に決まったの。向こうはあたしが大企業の重役秘書やってるのが嬉しいみたい。あたしもバカだから最初はスキーもできるし海もきれいだしお米もたくさんもらえるからいいなって調子のってたのよ。家も建ててくれるっていうし。ホントばか。このあいだ久しぶりに行って急に不安になったの。こんな山ばっかりのところにあたし一生住めるの? って。ダンナは周りの言いなりよ。ここだと男も女もたくさんいるし遊ぶところもいくらでもあるけど、あそこに行ったらあるのはしがらみだけ。確かにお米は美味しいけどね」
「専務はなんて?」
「やめれば? ってそれだけ」
「やめないんだ?」
「やめれないわよ! だって、もう家できかかってるし、式場も予約してるし、結納金つかっちゃったし」
「意外と謙虚だな。そんなの直前で破談にする奴大勢いると思うけど」
「だから相手によるのよ」
ああ、とため息。僕は稲垣から目を離して横になった。堂々回りしても仕方ない。もう寝よう……。
「ダメ、寝ちゃ」
稲垣は目を閉じた僕を揺さぶった。
「明日仕事だぞ」
「やだ、寂しい」
「お前も寝ろよ」
「寝たくない」
「オレもう無理だよ、立ってないもん」
「立たせてあげようか」
僕は肩を落とした。がっくし。先手必勝ともくろんだが甘かったな。その男、恨むぞ。
「やれよ」
朝まで付き合う覚悟を決めて、僕は言った。

inserted by FC2 system