恋する季節 44

 見てくれなくていいものに限って他人は見ているもので。
 大河内と僕が親密そうにしていた、という話が既に次の日には回っていたらしい。
 それは何故か稲垣の耳にも入っていて。
 廊下ですれ違いざま、
『また女か』
 みたいなことを言われる。
 ―――またって。じゃあ自分は?
 僕が女と食事行ったりするのは稲垣がコンパに行くことと同程度のレベルであるに過ぎない。
 だから僕は言ったのだ。
『お前が合コン行くのと同じで、話聞く程度の付き合いだからな。いや、弁解はよそう。俺はもうイチイチお前の行動を束縛するのはやめたんだ。だからお前も逐一噛み付くな』
 わだかまりが消えてなくなるまで僕は大人しくしてよう。彼女が少々他の男と接触しようが干渉はしない。
 ちなみに僕が大河内にしたアドバイスは大したものではなかったが、きいてはいたのだろう、真面目に派遣社員としての業務に戻っていた。見事な方向転換、『そうかぁ〜。法律をかえりゃええんやな。ウチは政治家を目指すで!』と宣言するほどの単純ぶりだ。そんな簡単にいくわけないと思うが……。その後メアド交換までさせられた(会社のだが)。
 ところで秋という季節は穏やかな気候と相まって木々も順々に彩り、まさに行楽シーズンである。連休目白押しで、『さっさと出かけんかい』と言わんばかりだ。ご多分に漏れず僕もそのしょっぱな、四堂とリサさんと小旅行に出かけることになっていた。
 女1人に男2人。気心知れてるとは言え妙だが、反対はしなかった。
「――? 何で俺1人なんだ?」
 そう聞くと四堂は、
「さあ。姫気分に浸りたいんじゃないのか」
 投げやりに答える。
 ―――ヒメ?
「……まあそういうこと。じゃあな、あけとけよ」
 昼休みの食堂で。僕はしばしぽかんとヤツの後姿を見送る。
「んー、なあ、話の続きしようなあ」
 何故か僕の傍らには大河内がいて。昼呼び出されてちゃっかり定食おごらされ、堅い話に突き合わされてるところであった。
「―――お前も変わってるなあ。こんな話したがる女はまずおらんぞ」
 じーっと僕を見つめる目が少々まぶしい。僕は裸眼で、眼鏡をしまいこんでいた。……もちろん彼女の希望である。
「オレたちサラリーマンの常識ってヤツだな。言わなくても誰もが実感する社会の決まり、法則。まあ、風が吹けば桶屋が儲かる、ってお前も言っていたが、とどのつまり、経済の仕組みなんてそれに尽きる。要するに適当なもの作っておいて、すぐに壊して、また作る……。それを繰り返していけば頑丈なものを長年使い続けるよりも遥かに利益は上がる。反面熟練の職人は激減するがな。日本だけじゃなく特に建設ラッシュに走る国はどこもそうだ。国の要人に生コンやゼネコン、石油関連企業の人間がいるのはわかりやすい例だろう? 近代化すればするほどこいつらに金が流れる。公共事業で道路や建物半永久的に造り続けて、非難浴びりゃまた税金使って壊して。使えりゃ売りさばいて。すげえ国家的詐欺だぜ。不況なんて全然関係ない」
「はあ〜。何かようわかるわあ」
 頷いて聞いている。眼鏡外しただけでこの待遇の差。可愛いところもあるもんだ。
「―――なーにやってんの!」
 そんななごみの最中、頭上から恐ろしい声が。
「――? あ」
 声で主はわかったが、反射で僕は見上げた。……声よりもコワイ顔がそこに。
「何ですか? ただの世間話をしてるんですが(それもオヤジ系のな)」
 見上げたまま答える。腕組みした清水が僕を睨みつけている。
「は〜? こんな所で?」
「どこでしようがオレの勝手」
 僕は元の位置に向き直る。
「あんたいつ眼鏡やめたの?」
「今だけ。期間限定」
「ナニソレ」
「ホラここ景色いいだろ? 視力回復に役立つんだよ」
 ウソだが。元々よく見えている。いつものラウンジに比べると高さは劣るが窓の部分が多いので眺望はいい。見ろよ、富士山も見えるぞ。
 って、そんなことはどうでもいい。鬼の形相はまだ続く。
「ふざけるなー。何でそんな見るたび違う女連れてるかなー? 少しはわきまえなよ」
「別に話の相手が男じゃないってだけで何をわきまえるんだ?」
「マジこんな所で世間話するわけないじゃん、2人っきりで」
「それがしてますんや!」
 清水に勝るとも劣らない大声で大河内参入。会話(と言えるか?)に割り込んだ。
「ハァ? 何この子」
 さすがの清水もちょっと驚いた様子。
「しがない派遣の者です! この人に色んなノウハウ聞いてただけ! そちらこそどなたはん? 秋沢さんの彼女さんか何か?」
 ひー。またストレートな。無敵の社長秘書に向かって。
「……何よ。派遣?」
 面食らったか、清水。
「……それが何でキョウスケと」
 声もやや小さくなる。
「えーーやんか! 自分の男が誰と話をしようがほっとき! 細かいことぐじゅぐじゅつついとる間に男の気も冷めるんやからなあ。もっとでーんと構えんと!」
 いきなりのドスのきいた声。ちょっと勘違い入ってるが、訂正する隙がない。飛び出した関西弁はおさまる所を知らず。
「……そもそも顔のエエ男についていこうっちゅー時点で胆据えてかからなあかんのとちゃうん? 何ちっさいこと言うてんねん。女としゃべっとるくらいでガツガツ食って掛かるようじゃ、男もうんざりやろ。とっとと三下り半つきつけられるんがおちやで!」
「まっ!!」
 いやだから。もうとっくに三下り半つきつけてるんですが……。そのひとことがショックだったのか清水は口を震わせていた。
「まー、とにかくうるさいねん! 人の言動監視する前に自分の言うてることよう頭ン中で整理してみいや! あんた、顔はべっぴんさんやけど中身は微妙やで?」
「―――(おお)!」
 聞こえざる感嘆の声。スカッ……と晴れ渡る僕の胸の中。何年ぶりだろうか。その言葉まさしく核心。よくぞ言ってくれました。悔しそうに残念そうに退散していく清水。
 快晴―――。毒をもって毒を制すだ、正に。
「あー。おほん。すんませんな、おさわがせしました」
 その後の周囲の視線が若干痛かったりしたが、公衆の面前で女王清水を退散させた快感がそれを凌駕する。向かっていったのは僕じゃないけど。でもまあいい。
 僕の後ろに広がる景色同様に気分はよい。
「あんたそうしてるとホンマ、シュウ兄そっくりやなあ。こんなえー所で(社員食堂だが)シュウ兄と話せるなんて夢みたいや」
「そう?」
「生きてりゃええこともあるんやな。初めて思うた」
「そんな年寄り臭いことを言うなって」
「ま、あんたみたいな人とどうにかなろう思うたらえらい覚悟が必要やろうな。さっきのお人やないけども。シュウ兄も……きっとそうやったろうなあ。あんときウチはまだ中学生でそんなんようわからんかった。彼女がおったかどうかも……。おったやろうけどウチはしらへん」
「……」
 キミもトラウマーなんだな。僕を見て目を細める彼女が少しいじらしく思えた。

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