恋する季節 42

 ダメダメッ、すぐに社長に報告せねば。
 ……なのだが、あいにく今日はお留守。あいにく、このことを知る者は僕のみ……。
 何となく足取り重く、僕は大河内を連れて部屋を出た。別人のように黙りこくった彼女はしずしずと僕に続く。
 ふと、振り返って彼女に何か言おうとしたが、やめる。エレベーターの前には先客(?)がいた。目が合って、僕に声をかける。
「よ、秋沢。おひさ。何? 何の御用でこちらまで?」
 四堂だ。企画室は別のフロアにあるのだが、会議室を使っていたのだろうか。彼と3人の男がリフト待ちをしていた。3人は僕に軽く会釈をし、四堂は僕と大河内の顔をチラチラ見て、何かよくわからない事を聞いてきた。
「あのさ、前言ってたヤツ、いいよな? 来週だぜ」
 いきなり頭が飛ぶんだよ。だがそれは助け舟だったかもしれない。
「何だっけ」
「忘れてるー。お前、空けとけって言ったじゃん。ホラ、連休のー、泊まりだよ。宿とってるぜ」
 言われてもすぐにはピンと来ず、エレベーターのドアが開いたとたんに思い出した僕は、「ああー、あれか」と声をあげた。
「何、マジで忘れてた? あの、お前、階下に行くのか?」
 彼は中に乗り込むと、1階のボタンが点灯してるのを確認しつつ、僕にそう聞いた。バッグを抱え、帰り支度をしていた。僕は、そうじゃないのに「ああ」と頷いていた。傍らの大河内は黙ったままだ。
「帰り? 荷物持ってないけど。ま、お前、いつもそうだもんな。暇なら食いにいかねえか? こいつらと一緒だけど」
 いつもの調子で僕を誘った。僕が犯罪人連れてるなんて気付くわけない。
「うーーん」
 さえない返事をしていると、
「旅行の確認も兼ねてさ。……あの、ところでそちらの方はどうされたの? 見慣れない子だけど。秋沢と何か?」
 大河内に向いてにこっと微笑んだ。
「ああ、いやー、何て言うか、その、ちょっとばかり注意をね、してたところ。会社のPC、無許可で触ろうとしてたみたいだったから」
 僕はとっさに、誤魔化した。核心の、本当のことは言えない。
「は? ああ、派遣の子?」
 四堂が更に彼女の顔を覗き込むようにすると、大河内はにやっと口角を上げた。
「いやぁー、すんません、ウチ、たった今、厳重注意を受けたところや。出張中の課長のPC、いじってもうて」
 ころっと態度が変わり、うまいこと口を合わせる。ま、嘘ではないのだが。
「あ、関西弁なんだー。ふーん、細かいでしょ、ウチの会社。とにかく私用は許しませんっつうシステムになってんの。何てしぼられました? オレなんかもそうですよ。コイツがいちいち監視してるから、暇つぶしも出来やしねえ」
 してるくせに……(オレも)。僕の分が悪くなるのはいつものこと。だが少しほっとした。すんなりサイバー犯罪にしてしまうのはどうにも気が引けて……。それが僕の甘いところ……。
「いや、びっくりしましたんや、ホンマのとこなー、秋沢さんって名前だけは聞いてたんや。でな、情報責任者っていうから、てっきりいかついおっさんかと思うてたんですー。それがこんな若いにーちゃんやって、ちょっと、ドキドキや」
 調子よく大河内が言うと四堂その他はぶっと吹いた。
「ははは、一瞬ひるんだ? つーか、ホントに、『注意』だけ? ねえねえ、もしよかったら彼女もどう? バイキングチケットなんで飲み放題食い放題ですよ」
「うっわ、いいんですか? うれしー」
 明るいアフターファイブに早変わり。ノリがいい。やっぱし関西は違う……。
 そう感心(?)している僕に、四堂に続く3人のうちの1人が寄ってきてぼそっと呟いた。
「秋沢さん、もてますよねえ……」
 ――は? 何だって?
「注意って、何注意してたんですかぁ……?」
「大阪の女か。珍しいですね。何か」
 他の男も口々に。
「お、おいおい、規定どおりの事をしただけだぞ。今度やったら辞めてもらうって。そう忠告したんだよ」
「はぁー、わざわざ降りてきて、ですか?」
「こんな時間に?」
「そうだよっ」
 何勘違いしてるんだ―、コイツら。疲れた目してっ……。





 それからの大河内は正に水を得た魚。よく食べるわ、よく飲むわ……。
「すげー」
 僕らの誰もがそれには驚いた。いやー、コイツ、個人的復讐に燃えるあまり食いっぱぐれてたのかな? ひそかにそう思う僕。
「あのー、それで、さっきの旅行の話だけど」
僕と四堂は向かい合って座って、彼は先ほどの話の続きをはじめた。
「お前の車で行こうぜ。で、お前一人で来いよな。誰も誘わなくていいから」
「あ? ああ……」
 僕はちょっと意外だった。彼に遊びに行こうと誘われていたのだが、いつものように彼と彼の彼女と僕と僕の連れの4人で、と思っていたのだ。僕はぼんやりと、稲垣を誘うつもりでいた。すっかり忘れていたのだが、最初はそう思っていた。
 四堂とリサさんとオレ……。何か嫌だなと思いつつ否定するほどでもなく、「ああ、わかった」と答える。稲垣と僕がそういう関係だと自分から言うのも少し変だし、彼はまだ知らないのだろうし。
 まあ、どうでもいいことだ。
 簡単に行き先と宿の話をして、ふと隣を見ると、膨大な量の皿が重ねてあった。
「うわ、よくこんなに食えるな」
 と、僕と四堂は同じようなことをつい口走った。僕はまだ一皿も空にしてないってのに。
「あのー、キミ、いくらタダだからって、少しは控えたほうがいいと思うよ」
 僕はコホンと口調を変えてたしなめた。コイツ初対面の席で……。すごい度胸。
「いやいや、秋沢さんこそ、せめて取ってきた物は食べんと店の人に失礼やで。残すなんてびったれのぶりっ子のするこっちゃ」
 ぶっ……。四堂がまた吹いた。
「言われてやんの。……あれー? 今の、どっかで同じようなこと聞いたぞ?」
 少し考えて、
「……おう、清水だ! 清水がよく言ってるぜ、似たようなこと」
 それを聞いて、今度は僕がうっときた。
「へー。清水が関西弁喋るとこんな感じなのか」
 バカな。やめろ。
「はっきりしてますよねえ。僕ら、秋沢さんにとてもそんなこと言えませんよ」
 と、さっきの3人組。嘘付け―。
「そうかな。大阪やったらこんなん普通や」
 清水がいっぱいいるなんて……。想像するだけで気分最悪。

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