恋する季節 30

 男同士の飲み会と言うとまず恋愛の話は出てこない。20代後半と言う年齢の為か(いや それにしても殆ど独身なのに)仕事の話ばかりである。で、酒が進むと恋愛を通り越して『エロ話』となる。一人が会社でやるえっちについて語り出し、僕はつ い真摯に耳を傾けてしまう。「何と言ってもタダ」「お気軽」「妙に興奮する」などの言葉に心の中で頷いたり。更にそいつは彼女の股間をコピったりしてるそ うだ。そっか、そこまでは気付かなかったな……と感心したりして。その図を想像してると、突然話を振られた。
「いいよな、お前は『よりどりみどり』でさ」
……よりどりみどり?
「そ、そんなことはないけど……」
少しドキッとして言葉を濁した。サラリーマンと一口にいっても色んな職場があるわけで、僕みたいに隣が秘書課、上が重役フロア、秘書たちとはしょっちゅう 顔を合わしてる……なんてのは羨望の的らしい。特に職場に女の子が少ないヤツからよく言われるのだ。『秘書』と言う響きから醸し出されるイメージはいまだ に男連中には根強い魅力があるのだろうな。実際うちの会社の秘書連中はどうだか知らんが……。
「う〜〜ん、お前ら若いねえ」
同じ年のくせに一人だけ先輩面したヤツが口をはさんだ。メンバーの中で唯一の既婚者くんだ。元々コイツの仕事の成功祝いみたいな集いだったのが、飲んでしまえばそれはもうただの口実さ……。彼は僕らにひとこと下した。
「会社でやったやらないって興奮してるようじゃまだまだ、『お母さん、のど渇いた』って母親にジュースを汲んでもらう子供がそのまま大人になったようなものなんだよ。わっかるか? はは……」
よくわからん例えだ。何となく意図してる所は伝わらないでもないけどな……。
 僕は2次会のショットバーまでご一緒して、ついでにもう少し会社えっちの極意を教えてもらったのだった。


 酒も残らずまあまあ爽快な次の日の夕方、稲垣から社内メールが届いた。
『今日どう? 遅い?』
僕は少し遅くなると返した。
『じゃ、地下のスタバで待ってるわ。あっちで買い物するから、7時半くらいね』
『OK』
あっちというのは反対側の八重洲方面だ。デパートか地下街で買い物するんだろう。今日は金曜日だ。酒はそこそこにして2人でのんびりしよう……。僕はそのつもりでいた。
 仕事が終わって会社を出、地下街に着いたのは午後7時半過ぎであった。混んでる店内に入ってふと営業時間を気にする。ぐるっと一通り見渡して目にとまった例の金髪。テーブル席でそばにスーツ姿の男がいて彼女に話し掛けている。
『またかい』
チッと思う。よくあるんだよ、こういうシチュ。だからこういう店で待ち合わせするのは嫌い……。
 僕は近づいた。そして大きな声で呼ぶ。
「稲垣」
2人同時に振り向いた。「あ」僕は隣の男にチラッと視線を流して彼女の隣に腰掛けた。
「ねえ、この人、何か勘違いしてるの」
彼女が僕に言った。
「ん?」
「あたしと待ち合わせしてたって言うの。7時半にここで。……ね、あなた、あたしが待ち合わせしてるのはこの人なのよ。ほら、ちゃんと来たでしょ?」
稲垣は男に向かって諭すように言った。ぬ〜、それは明らかにナンパの口実だろう。……無視するべし。
「ん、もう8時になるし、出ようか」
僕は彼女の肩に手を置いた。「そうね」この時点でナンパ男も退散するのだ、大抵はな……。
「いや、違いますよ。確かに約束したんですって。……僕の手紙見てここに来てくれたんじゃないんですか?」
男は言った。
「手紙?」
「会社宛てに出したんです。見ませんでした?」
稲垣はちょっと首を傾げ、「あーーー」と大きな声を上げた。
「手紙って、もしかして、白い封筒の? 何通か来てた……」
「そうです。そうそう」
男は頷く。背が高く目の大きい、ちょっと濃い目の二枚目だ(いかにも、というか)。
「やっだ、知らないわ、中身見てないもの。差出人見ても知らない人だったし」
「えー、そうなんですか? じゃあ本当に偶然ここに?」
「でっしょ、あたしあなたなんて知らないもの。さっきから言ってるじゃないの」
稲垣は面倒くさげに飲みかけの紙コップをストローでつついた。男は大げさに少し後ろへ反って「そっかー。残念」と呟く。が、帰るそぶりを見せるどころか、なんと自己紹介をはじめるのである。
「でも偶然ならなおさら奇跡的ですよね〜。それじゃ、改めて自己紹介を。僕は○○○日本支社の中垣内浩介と申します。年は27歳。営業グループのサブリーダーやってます」
すっと名刺を稲垣に差し出した。男が名乗ったのはアメリカの保険会社だ。ちょっと前な言い方をすれば、いわゆる『外資系』。日本企業の撤退が相次ぐ中、続々とこの界隈に支社を構えてるのである。
「あ、あの……」
「……失礼ですが、稲垣さん、何月生まれですか?」
「え?」
「誕生日」
「に、2月……」
「2月の、何日?」
「14日……」
ペースに押されて稲垣が呟くと男は目を輝かせた。
「そうですか〜。僕は10月生まれなんです、15日。相性いいですね。仲良くしましょう」
「はあ?」
僕ら2人呆気にとられる。が、男はニコニコ笑みを浮かべてる。営業スマイル〜? 傍にオレがいるというのになんとずうずうしいヤツなのだ。
「……それで何か? 彼女はオレと付き合ってるんだけど」
あんまり無視されるのもしゃくにさわるので僕は自ら切り出した。男ははじめてまともに僕の顔を見る。少しの間沈黙……。僕はやむえず身の上を名乗りかけた。
「僕は彼女の同僚で……」
「知ってます」
男は僕の言葉を遮るようにはっきりと言った。「へ?」
「一度お目にかかったことがあります。我が社の社屋完成パーティに副社長とご一緒されてましたよね?」
「あ、はい……」
するっと仕事モードの返事になっちゃう僕。実はそう、この男の会社の社屋建設を請け負ったのはうちの会社だったのだ。確かに僕は一度そこへ出向いたことがある。
「気にはしておりました。こういう席でお会いできたのも何かの縁ですね」
男の目がきらりと鋭く光ったように見えた。何だ、何だ……。稲垣の誕生日なんてオレも今はじめて聞いたぞ。今更ながら外資系っぽいというか、ハイなヤツである。男はチラッと腕時計を覗いた。
「……今日は仕方ない、退散します。あ、それ、気に入らなかったら捨てるなり質に入れるなり好きにして下さい。大した物ではありませんが、僕の気持ちです」
『何?』
見るとテーブルの隅にリボンを掛けた小さな箱が置いてある。おおい、既にモノ攻勢に入ってたのかよ……。
『バカ、お前、何受け取ってんだよ』
僕は小さな声で彼女を責めた。
『やだ、違うわよ。強引に渡されて……』
しかし男はそんな僕らにはお構いなしに、とっておきのセリフを吐き捨てたのである。
「せっかくお話できたことだし……。どうですか? 今度僕の同僚とそちらの秘書の皆さんとでコンパをしませんか?」

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