恋する季節 28

 朝日の印象も今までと違っていた。少し眠った後目覚めた僕らはベッドの中でいわゆる恋人のような甘い時を共有した。
「すき……」
稲垣は僕の上にのっかってすきすき囁きながら僕の肌を撫でた。つーっと筋肉の線にそって細い指が這い、または乳首を揉んだり。柔らかい光に照らされた裸が すごくきれいで見てるだけであらゆる体液が分泌され巡るようだ。『あ、また』ベッドの感触が極上のカーペットに変わり、ふわふわ空中を浮遊してる。彼女は きてしまった僕のモノをぴとっと自分の入り口につけ、くーっと腰を下げ押し込んだ。全然きしきししないで奥まで吸い込まれたそれは粘液に包み込まれ浸され この上なく気持ちいい。「奥まで届いた?」ぴったり密着して先まではまり込む。粘膜同士の微細な接触なのについ唸りそうになる。我慢して押えても息がこぼ れる。彼女は上手く腰を動かして更に僕を刺激した。股を開いて閉じて中でこすれる角度をコントロールする。思えば会社でやる時もそうだったのだ。彼女はよ く分かってる。ゆらゆら、ゆりかご、そんな感じだ。刺激を伴う、大らかさと温かさ。綺麗なラインが揺れ、その興奮も手伝って僕は射精した。彼女は身をかが めて受け止め、苦しそうな嬉しそうな顔をした後ゆっくり腰を振りながら僕の顎にキスした。ドキドキドキドキ……合わさった胸に鼓動が走る。
「すき。もっと出して」
僕の胸を舐めながら彼女は言った。呼吸が整わないうちに僕は腰を動かし彼女を突き上げた。上体を起こした彼女の手を握り指を絡めて体勢を安定させると運動 を続ける。大きな胸が今度は大胆に揺れる。中でぐちゅぐちゅ摩擦してまた堅くなる。彼女は体をのけ反って感嘆めいた声を上げる。「ああ、ああ、好きよ、愛 してる」「くっ」「はぁっ」色っぽくてたまらない。僕も興奮し、感激した。そういえば空腹の筈なのにこのエネルギーは何なんだろう?
「あん、イク〜〜」
瞬間、ぐっと指に力を込めた。つながってるそこに神経が集中する。出し切るとふっと楽になる。「あぁぁ〜」彼女はぐったり身を投げ出した。僕はその体を抱き締めて背中をさすった。両方の肩が波打ってる。
「ああ、気落ちいい、好き」
「好きだよ」
息が切れる。心地いいのに加え、かけがえなく思えてくるから不思議だ。『愛してる』とか『好き』とか言い合うだけでこんなに違うものなのか。ヤリ友なんか じゃこういうのはなかったことだろう。まざりあってる幸せ。ハアハアハアハア乱れる呼吸の片隅でふと『シャワー浴びなきゃ』と思う。液が垂れてぐしょぐ しょだ。
「いい、いいわ。あたしずっとキョースケとしかやってなかったのよ」
「ホント? いつからだよ」
「ん〜。3ヶ月くらい」
「アイツとも?」
「そうよ」
そうだな。僕は稲垣の婚約者よりもたくさん彼女の中に出してるんだ。笑えるな。
「お前もう専務と寝るなよ」
「もう。だから一回だけだって言ってるじゃん」
「色気じゃかなわんからな」
「そうね。キョースケに捨てられたら走ろうかな。専務は裏切らないもん」
「あ、まだその気あるんじゃないか〜」
「も〜。だからいざとなったらの話。浮気しないでよ」
「お前こそ裏切るなよ」
会話にムードはないが(仕方ない、会社のヤツなんだから)、とりあえず前進はしたのだ。へんてこな協定だけど重々しくも軽々しくもなく丁度いいのだろう。
「ああ、そろそろ行くかぁ」
急いでシャワーして服着て、一緒にホテルを出るとすぐ会社……。思わず笑ってしまった。


「清水さん、完全に誤解してるよね。このままじゃキョースケが悪者になっちゃう。会社じゃ少し控えてた方がいいね」
「構うもんか」
心配顔な稲垣をよそに僕は平然としていた。どうせばれるんだ。妙に勘ぐられるよりスッキリさせておいた方がいいじゃないか、と。
「それよりお前の残務処理の方が大変だろう」
「う……ん」
彼女は彼女なりの用事、僕は僕のれっきとした仕事があるのだ。清水との不仲が決定的になっただけで……。僕らは帰り時間を合わせ一緒に下に降りた。エントランスを出た瞬間、ばっと何者かが横から飛び出してきた。
「あ」
現れた大きな人物。つい土曜日に遭遇した元婚約者殿である。
「え、あ」
急なことに稲垣は言葉もなかった。相手も何も喋らない。じと〜っと視線を合わせている。『やばいっ』僕は思った。2度も同じ男といる所見られるなんていくら鈍感とは言え勘付くだろう。少し緊迫する。
「あ、い、稲垣さんっ」
しかし男は僕には目もくれず稲垣の名前を呼んだ。先日と同様になよなよした声である。
「な、なに? あたし、もう会いたくないの。言いたいことがあっても全然受け付けないんだから!」
稲垣はきっぱり言った。
「そ、そんな、突然、親もびっくりしてるんだ、どうすればいい、困るよ、困る、急にキャンセルなんかされて……」
「あんたと話し合ってもダメだと思ったからよ。これがあたしの気持ちなの。お願いだからもう来ないで。お母さん達の所へ帰って!」
「こ、困るよ!!」
男は叫んだ。
「あたしだって困るの! あんたなんて、好きじゃないんだから!」
稲垣は言ってしまった、最後のセリフ。男は相当なショックだったんだろう、形相が見る見る変転した。
「な、な、う、訴えるぞぉっ!!」
大声でうなった。周りの人間が一斉に僕らの方を向く。迫力はある。図体だけはでかいのだから……。
「訴える? バカなこと言わないでよ〜」
稲垣の声の調子が落ちる。
「さ、詐欺じゃないか、結納まで済んでるのに。う、訴えるからな!」
再び大声。
「いや、詐欺罪にはならんだろう」
僕は口を挟んだ。稲垣をかばうのと男が哀れに思えるのと両方の理由で。多分これは誰かの入れ知恵であろう。男自身のセリフではない。
「訴えるのか? 彼女は別に君を騙して婚約したわけじゃないだろう。もう一度冷静に考えてこの結婚は無理だと判断したから拒絶したんだ」
「で、でも、か、金だって、家だって彼女のために……」
「結納金か? それは君の『新居』のための必要経費なのであって別に彼女が持って逃げたんじゃないだろう。詐欺にあたらんぞ」
「あたし、お金なんて持ってないわ。全部冷蔵庫とかテレビとかに消えちゃったじゃない! 訴えるんならあたしにだって言い分は山ほどあるわ。あたしに知らせないうちに勝手に話をどんどん進めて、あんたのお母さんにも責任あるんじゃないのよ!」
稲垣も負けてはいない。男はうっと口を閉ざした。
「他人事に口をはさむのもなんだが、詐欺にはならんぞ。君を弄んでると言うのならともかく純粋に悩んだ末での結論だ。婚約期間にそれが確認できたんだからむしろよかったじゃないか。結婚より離婚の方がややこしいぞ」
僕はついつい行き過ぎたことを喋ってしまった。男がパッと僕の顔を見て「わぁぁぁぁ〜」と叫びながら突進したのだ。やばっ、殴られる!?
「わっ」
「きゃ」
僕と稲垣はさっとよけた。男はうちの会社の外壁にがつんと体当たりを食らわせ、拳を握り締めて泣き崩れた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それがまた尋常ではない騒々しさなのだ。はっきりものを言わない分物質に八つ当たりすると言うか。なんともみっともないっつーか……。
「さいてー! お金の話なんか持ち出して嫌らしい! キャンセル料かかんないんだから問題ないでしょ! 自分のやりたいこと何も言わないくせに偉そうに訴 えるなんて言わないでよ! 思ったことはっきり言えないなんて小学生以下じゃない! もう絶対来ないで! もし来たら今度はあたしがあんたを訴えてやるか ら! 絶対よ!」
稲垣は激怒した。「ふんっ」ヒールの音を立てる。ひぃ〜〜。女は強いの図。僕はちょっとうろたえた。
「なになに?」
遠巻きに何人かが囁きあう声が聞こえた。ふっと我に戻る。僕らは顔を見合わせ、そそくさと退散した。男を残して……。それしかなかろう、話にならんぞ? こんな所で……。男はひとりみじめにわめき続けていた。泣き声が当分僕らの耳に響いた。


 やっぱり平穏にはいかないのだ……。それから稲垣の身辺はにわかに騒々しくなった。自分の両親から何度も電話がかかってくるのだ。「あたし結婚辞めた の。それだけ」考えてみればその一言で納得する親の方がおかしい。式の日取りまで決まっていたそうであるし。盆休みに上京するとまで言い出し、てんやわん やなのだ。
「もう〜うざい〜」
すっかり意気消沈するところへもってきて、会社の前で醜態をさらした(さらしたのはアイツであるが)ことにより僕との関係も皆に詮索されはじめたのである。清水にばらされるまでもなく……。

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