恋する季節 27

 シティホテルの薄暗い部屋。照明をつけると僕は彼女をベッドに横たわらせた。部屋に入るまで涙をこらえていた彼女だったが頬にまた新たな雫が伝った。僕は何も言わず顔を近付けた。すっかり血の気が失せ、まるで別人だ。
「信じてないのね」
弱々しい声で彼女は呟いた。
「驚いてるんだよ」
「顔に書いてあるわ」
「どんな顔だよ」
「こんな顔……」
彼女は頼りなく指を伸ばすと僕の顔から眼鏡を取った。そろそろと僕の頬や髪を撫でる。
「愛してるの。結婚するって聞いた瞬間、胸がドキドキしてはりさけそうになった。これを愛でなくてなんて呼ぶのかわからない。こんなこと初めてなの」
「稲垣」
「好きなのよ。とにかくつながっていたかった。例えどんな関係であっても。結婚しても……」
「お前、専務と結婚したがってたんじゃないのか」
僕は言った。彼女の言うようにやはりまだ半信半疑なのだろう。彼女はゆっくり首を横に振った。
「違うの。噂なのよ。あたしがデマったの」
「え?」
涙が止まり、彼女は幾分冷静になった。
「嘘ついたのよ。専務としたことをいいことに利用したの。カモフラージュするために」
「カモフラージュだって?」
「そうよ。あたし、アイツのことでストレスたまってた。男として全然頼りないの。わかるでしょ? 物足りないのよ、体の方が。それで一度専務と寝た。でもそれだけよ。その後もだらだら色んな男と遊び半分でやってた。キョースケの時だって軽い気持ちだったの」
「でもオレ……」
「会社の同僚なら楽でいいとも思った。でも当てが外れたわ。どんどん本気になっちゃったの」
囁くように彼女は続けた。
「好きなの。キョースケに言ったことは全部本当よ。信じて。ううん、信じてくれなくてもいいわ。好き。愛してるの」
「どうして早く言ってくれなかったんだ?」
「言うの? 言えるわけないじゃない。もし言って関係が崩れてしまうのが恐くて……。ずっとこうしていたかったのよ、誰にも邪魔されずに。だからわざと専務の話をしてカモフラージュしたの」
彼女は僕の首に手を回した。
「愛してるの。こうしてると落ち着く。イヤなこと忘れられる……」
「セックスに救いを求めてるのか」
僕は呟いた。それはそれで今までと全く同じじゃないか。
「違う。それだけじゃないの。わかって」
「なら素直に言えばいいじゃないか」
「付き合おうって? 付き合ってどうするの? やることは同じよ。付き合って別れたらそれまでじゃない。あたし、ふられるのが恐いの」
「ふられる?」
僕は苦笑した。
「始まる前からそんなこと考えてたんじゃ何も進まないじゃないか」
「だって、終わらせたくないんだもん! キョースケ、いつもそうでしょ? すぐに別れちゃうじゃない」
僕に訴えてるように彼女は大きな声を出した。
「そんな風に言うなよ。オレ別にふってるわけじゃないぜ。ただ話のあう子に会えないだけなんだ。自然消滅だよ」
「それがたまらないのよ。突然関係が切れてしまうことがどんなに寂しくて悲しいことか、キョースケにはわからないんでしょ」
「わからないなんて……」
僕らはいつしか言い争うように会話していた。僕は一旦体を起こし、サイドテーブルの灰皿を取ってタバコを吸おうとした。
「もし付き合ってって言ってそうなっていたとして、今頃とっくに別れてると思うわ」
彼女はゆっくりベッドの上に起き上がりタバコを吸う僕を見ながら言った。
「考え過ぎだよ」
「違う。だってあたし自信ない、あたし、あたし、キョースケの『タイプ』じゃないんだもの!」
思いきり叫ぶと彼女はまたしくしく泣き出した。
「タイプって……」
タバコを吸って間を取ろうとしたが失敗である。煙りの向こうで稲垣はベッドに顔を埋めた。肩が震えてる。
「稲垣」
吸い殻を揉み消し僕は再び彼女の側に寄った。「うう、うう」泣きじゃくってる。
「終わらせたくないんならそうすればいいじゃないか。何を泣くんだ?」
僕はそっと肩を抱いて言った。少しピクっときたあと彼女は僕に向き直った。
「結婚するって言ったじゃない、結婚するって……。そんなのいや、結婚しないで、アメリカなんか、行かないで……」
彼女は泣きながら僕の体を握り締めた。ベッドの上……。僕はそっと顔を上げさせた。涙でくしゃくしゃだ。
「稲垣、オレと付き合おうよ」
僕は言った。彼女は泣き止まない。
「どうなるかわかんないけど……。こんなこと言うとまた気を悪くするかもしれないけど」
抱き締めた。張りのある、男に抱かれ慣れた体……。もう求めてる。多分お互いそうなのだ。言葉以外に感じあうものがある。確かに。
「付き合おうよ。オレ今もだけどお前と初めてやった時、誰とも付き合ってなかったんだぜ?」
言った後で彼女の目から涙がたくさん溢れた。
「好き、好きなの、好き……。わからない、言葉じゃない」
声がかすれていた。僕らはそのまま唇を重ね長い時間キスをした。服着たまま……。僕の右手につけた腕時計が彼女のものと擦れてカチカチ音を立てた。
「この香水の香り……。ああ、好きよ。愛してるの。体を全て捧げてもまだ足りない。ずっと側にいたい」
押し潰れた声で囁く彼女の体を愛撫した。服の上からでもはっきりわかる性感帯……。下着をずらして結びついても僕は欲求に踊らされることなくゆっくりゆっ くり確かめた。この感触、心地よさ、彼女の本心……。何よりも僕を愛しているという彼女の言葉……。それはつい数日前にしたセックスとは違っていた。もう わかっているものを再確認してるような……。ずいぶん長くかかって僕は彼女の服を脱がせ、僕も裸になり、肌を口腔を絡めた。
「ああ、好き、匂いも、髪も、何もかも……」
彼女の体は柔らかくて素直で、根本的に愛情に飢えてる僕には全く異色であった。今までどうして気付かなかったんだろう。彼女はそれほど奥深く秘めていたのか。それとも夢なのか、もしかして……。
「ああ、ああ」
僕は彼女の中にいれて向かい合ったまま二人の体を起こし、唇にキスしたり背中や胸や腰骨に手を這わせて上半身を愛撫した。彼女は悶えながらも果てることはなく僕に囁き続けた。何回か膣に射精し僕は夢見心地で呟いていた。
「好きだよ、好きになりかけてるよ……」
ぎゅーっと力を込めると中身が飛び出てしまいそうなほど繊細な体と心が同時に愛しい。結びついたまま愛し合うというのはそういえば彼女が望んでいた行為で、僕は初めてその真意を悟ったのだった。
「離れたくないの……」
僕は彼女の腰に手を当て熱い股間が離れてしまわないよう、かといって力を込め過ぎないよう、性行為を繰り返した。唾液や性液が溢れびしょびしょになった。 止まらない。僕を動かしているのは欲情と言うよりは愛情だ。間違いなく。そう思いたかった。好きだなんて言われたことがない僕にははじめてのセックスだっ たのだ。

inserted by FC2 system