恋する季節 24

 全くひどい悪夢そのものだ……。仕方なく僕はバックップしていたデータを再びディスク に入力することにし、作業しながらタバコをくわえた。最後の1本。ついてない……。こんなことってあるんだな。絶対どこかにあるはずだが。まあ、移しかえ るだけなので徹夜にはならないが、思わぬ足止めである。心配そうにしばらく僕の側に立っていた後輩(斉藤くんという)に蒸しタオル持ってきてもらって目に あてがう。ああ、気持ちいい〜。ってオレも年だなあ。でも不思議だ。どうしてあれだけ消えてる? 万が一盗まれた(或いは消去された)としても目的が摘め ん。重要なデータは他に幾らでもあるのに、全て無傷なのだ。バタン……。ドアの音がした。気配を感じた僕はそっとタオルをよけて言った。
「帰っていいよ、すぐ終わるから」
「あ〜ら」
ぎょっとした。女の声に。
「まだ仕事中?」
「何だよ、お前、部外者は立ち入り禁止だぞ」
「入れてもらったのよ、お宅の部下君に」
僕の横に立って見下ろして言う。腰に手を当ていかにも高慢ちきなポーズ。清水だ。
「ったく、甘いんだから」
僕はぼやいた。こういう甘さがミスを誘うのだ。全体的に見直さねば。
「何? オレに用かよ」
「ん、ちょっと……」
答えかけて清水は口を止めた。じ〜っと視線が合う。1秒、2秒……間があいた。
「やだ、久しぶりに見た、メガネ外した顔」
「はい?」
かくっとくる。なんだなんだ、オイ。
「何? 用なら早く言ってくれよ。オレ残業予定なんだよ。見てわかるだろ? 忙しいんだよ」
さも面倒くさげに言う。ああ、今日はついてない……。そう思った僕の心を見すかすように清水は呟いた。
「機嫌悪そ〜。今日の双子座の運勢ワースト1だったのよね。まんざら外れてないじゃん」
ムカ。どこに話を持っていくのだ。なんと僕とこいつは生年月日がまったく一緒なのだ。血液型まで。
「あ〜〜、用ってお前、またコンサートに連れていけって言うんじゃないだろうな? ダメダメ、オレ今日は抜けられないんだから」
僕は言った。というのもこいつはとあるロック歌手の熱狂的なファンやってて、過激な服装はそれによるものなのだ。ったく、いい年してみっともない。まあライブの度に送り迎えさせられる僕も僕だけどな。
「諦めろ。タクシー拾え」
「やだ、ちが〜う」
清水は首を振った。じゃあ何だよ。いらついた僕はそれをなだめるためタバコに手を伸ばした。が、すかすか。空っぽである。ちっ、そっか……。僕はぎゅっと箱を握りつぶした。
「用って言うか、頼まれたの、あたし……」
「そうだ、お前、タバコ持ってるだろ、1本くれ、この際何でもいい」
ふと思い付いて僕は言った。「へ? ん」清水は言いかけていたのをやめバッグに手を入れるとタバコを取り出した。箱ごと差し出し、僕が一本抜こうとするとさっと手を引いた。
「やっぱダメ。よしなさい」
「何だよ、くれよ。1本でいいから」
「ダメダメ、あんた吸い過ぎよ。そろそろセーブしなさいよ」
「なに?」
僕はカチンときた。こんな時にんなこと言うかぁ?
「くれよ、ちょっと落ち着きたいんだよ」
「ださいよ、中毒者」
「いいじゃないか、1本くらい」
「そんな問題じゃない!」
清水は大きな声を出した。「なに〜」僕もつられてテンションが上がる。
「何なんだよ、お前はっ! そのくらいいいだろ! オレもう何回もそのライブとやらに連れていってやったぞ? タバコの1本くらい恵んでやっても罰当たらないだろうが!」
「叫ばないでよ。タバコに依存するのはやめなって言ってるのよ」
「えらそうにっ。嫁みたいなこと言うな」
僕が言うと、清水は驚いた顔をして見せた。
「よめぇ〜? 何よそれ。嫁に言われたらやめるとでも言うの? あんたでも結婚願望ってあるんだ」
「フン、お前に関係ないだろ」
僕はそっぽを向いた。声の調子が完全にけんか腰だ。
「あの子とももう別れたって言うじゃん。しょげてたわよ。可哀想だと思わないの?」
「突然付き合えって言われてオレの方が困惑するだろ。不自然過ぎるぞ、やり方が」
僕の前の彼女(らしき女)は清水の知り合いなのだ。いや無理矢理紹介されて付き合わされたと言った方が正しいが。
「何よ、早過ぎるじゃないのよ! 結婚する気あるのならもっと真剣に付き合いなさいよっ! あんたみたいなのをやり逃げって言うのよっ、あほっ!」
「何だと〜」
僕は思わず立ち上がった。や、やり逃げ……っ。そこまでぬかすか? 手の震えが隠せん。こいつっ、やっぱ相性最悪だ。
「侮辱だぞ。訂正しろよな。深く付き合う前に別れた方がお互いのためだろ。ていうかお前自分のやってること分かって言ってるのか? 何でオレがお前の紹介した女と付き合わなきゃならないんだ? おかしいだろ? いい加減わがまま過ぎるぞ!」
セックス相性悪過ぎ、とも付け加えておきたいがな。
「ひどいわ、わかってなさすぎるんじゃない?」
「何がだよ」
「女心がよっ」
清水はかっとなって手を上げた。僕はとっさにその腕をつかんだ。
「お前に言われたくないぞ」
きつーく睨み付けて言う。向こうもすごい形相だ。これで同じ誕生日同士とは笑ってしまうぞ。くだらんくだらん、オレは占いなんて一生信用しないからなっ!「痛いじゃないっ」僕はパッと手を離した。清水はふんっときびすを返してドアを出ていこうとした。
「たらしっ! くらえっ!!」
くるっと振りかえり物を投げ付けた。「わっ」よけきれず僕の頬にとがった先端が命中。「バカッ!」つかつか、バァン……。僕はまた机にうつ伏した。った く、オレの方が痛いよ……。なんなんだ? 結局アイツは何しにきたんだ? 女の恨みをはらしにきたのか? わざわざっ!? わなわなと腹の底から沸き上が る怒り。しかしどこにもぶつけどころがなくて僕はそのまま机におでこ押さえつけてくすぶっていた。ああ……。とにかく今日が最悪日と言うのは間違い無さそ うである。
「大丈夫ですか」
声かけられても僕は顔をあげなかった。声の主は斉藤である。
「帰ってなかったのか」
「はい……。何か気になって。すいません、ちょっとだけ聞いちゃいました」
誰に聞かれようと構わない痴話げんかだ。どうでもいい。……どうでもいいが顔は痛い。じんじんする。僕は頭を上げた。
「激しかったっすね。あ〜あ、痛そ……。オレ、タオル冷やしてきます」
「ああ、いい、いい」
そんなことより仕事再開せねば。僕は手で断わる素振りをした。
「でもせっかくのお顔が」
斉藤は出ていってすぐ戻ってきた。「冷やしておかないとあとが残りますよ」僕の顔に冷たいタオルを当てがう。「ん……」僕はそれを自分で押さえ、イスにもたれるとふうとため息をついた。
「ああ、もうイヤ」
と独り言。なんだよ、今のは。鬼じゃないかまるで。タバコの1本よこせばすんなりおさまるものを……。アイツにくらべると稲垣なんてホントかわいいもんだ。愛しいとさえ思えてくるぞ、マジで。
「最近特に荒れてますよね。……ん? 落ちてますよ」
斉藤はしゃがんで物を拾うと僕に渡した。「フロッピー」「ん」僕はそれを受け取り、机に置こうとして手が止まった。
「んーーー?」
じーっと見つめる。そう、フロッピーである。例のものと同じ色。僕は言葉もなくPCからさっきのフロッピーを取り出すと2つを見比べてみた。そして渡され た方をPCに入れ、中身を呼び出す。すると見事に表示されるじゃないか、上海ビル計画から工法、工期予定表まで。「あれあれ?」
「あの〜?」
斉藤は怪訝な顔で僕を見つめた。その時の僕はまさに『狐に摘まれたよう』……。そのあとほーーーっと一気に緊張の糸が解ける。
「ああ、ごめん、助かったよ。もう帰っていいよ。オレももう終わるから」
「そうすか?」
いいのかなあ、という彼の表情。「あ、じゃ、少し待っててくれるか? 一緒に帰ろう。メシでも食おうぜ」「はあ」なんだオレ、取り乱して損したぞ。一体い つ落っことしたんだ? 不用心だなあ。子供の落とし物じゃないんだからさ。やっぱ最近たるんどるな、引き締めねば……。僕はさっきまでの鬱状態はどこへや ら、しゃきっと姿勢正して中身を全て確認すると保管庫に入れ、斉藤と一緒に部屋を出た。後半ごたごたしたが無事一日が終わればそれでいいのだ。まさか明日 になってまた消えてるってことはあるまいし……?

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