恋する季節 23

 エレベーターに乗り込むと中にいる女性と目が合った。「ああ」とお互い目配せする。大林サン。副社長の秘書だ。
「48階でいいんでしょ」
「ん」
彼女は閉ボタンを押した。ウィィンとスムーズに上昇しはじめる。僕らしか乗ってなくて降りるフロアも同じだ。
「ねえ、イナ(稲垣のこと)の送別会中止になったの聞いた?」
彼女は早口で僕に尋ねた。
「いや」
僕は首を振った。いかにも『何も知りません』って風に。
「僕も数に入ってたんだ?」
反対に聞き返す。稲垣、ついに決心したんだな……。と心の中では思いながら。わざとらしいな、オレ。
「そうよ。何かあったのかしら? 会社辞めないんだって。正式な手続きはまだだったから別にいいんだけど、みんなびっくりよ。あたしも今日はじめて聞いたの。専務は御存知だったのかしら? 出張中なのに。あ、ねえねえ……」
彼女は髪をかきあげ僕に近寄った。「ところで」
「ねえ、清水さんと別れちゃったって聞いたけど、ホント?」
「えっ? そ、そだね……」
全然違うこと聞かれて僕は少しうろたえた。何だ何だ? いつの話してるんだよ。
「じゃ今空いてるんだ?」
「え」
彼女の涼しい目元が接近する。黒い巻き毛につり目、と顔だちクールなんだよなぁ。って、コイツ……。
「あ、空いてる? オレ? いや、空いてるって言うか……」
空いてるような空いてないような……。言葉を選んでモゴモゴしてる僕に彼女は言った。
「あたし、立候補していい?」
「えっ」
びっくり。何だよ、急に。
「ねえ」
「い、いや、い、いる、いるんだ、悪いけど」
すっきりしない返答であるがとっさに飛び出した。プルプル首振りながら。彼女は顔色かえることなくあっさり続けた。
「あ、そう、じゃ、キャン待ちしといてくれる?」
「は、はい?」
固まる。と、そのときリフトが止まり、ドアが開いた。
「どうせすぐ……しちゃうんだから」
「あ、あの」
急にそんなこと言われたんじゃ出てくるセリフだって出てこないさ。
「確かに言ったわよ。お願いね〜」
ぽけっとしてる僕にちらっと視線流して彼女はさっさと歩いて行った。ワンテンポずれて僕も降りる。そのまま廊下に立ち止まり、首をかしげ、彼女の後ろ姿に呟いてみる。
「何だ? 突然」
高速エレベーターに負けないくらい急な展開じゃないか。わけわからん。脈絡なさ過ぎ。稲垣ン時もそう、清水もそう、どうしてうちの秘書って『謎』なヤツが多いんだよっ。な〜んですか、キャンセル待ちって〜。大林、お前、ダンナがいるだろっ、ダンナが〜!


「さっき直接専務から連絡あって例のもの明日にしてくれって言われたんで受けときましたよ。もう出来てたんですよね? 専務、明日の朝の便で戻ったあとすぐ福岡に飛んで、そのまま上海に入られるそうです」
部屋に戻るなり言われる。
「ああ、オッケー」
途端に仕事再開。僕はデスクについて今の会議の報告書をまとめた。社長用のだ。文書作成係でもないのにさ。オレって公私共に便利屋化してるかも……。そん なことちらりと思いながらしゃかしゃかボードに打ち込み、終わって時計見ると定時過ぎていた。うーんと伸びして立ち上がり、保管庫からディスクを取り出 す。家から持ってきてずっと入れたままになっていた建築データ。セットして呼び出す。確認して帰ろう、と……。
「んー?」
僕は目を疑った。何も入ってないからだ。
「なにっ?」
「どうかしたんすか」
帰り支度してる後輩が近寄ろうとする。慌ててそれを制し、「や、何でもない、何でもない、専務、明日、何時出社だっけ?」
「11時くらいじゃないすか。朝2便でしたよ」
「そ、そっか」
「なんすか? 手伝いますよ」
「いい、いい」
と言いながら僕は一旦画面を切り変えた。焦るぞ、マジ? 妙だ。このフロッピー、ずっとあそこに入れていたんだぞ? 家のノートから取り出して鞄に入れた のもはっきり覚えている。それがなぜ消えてる?? わからん……。目が疲れてるのか。いや、何度見ても同じ……。僕は眼鏡を外してうつぶした。
「さっきのヤツですか」
「ん……」
はぁーとため息。もう一度思い起こしてみる。家にあるのか? いや、取り違えた筈はない。間違いなくノートの中に入っていたんだ。僕が取り出した。稲垣もそばにいた。じゃあどこに?
「うそっ」
「あの……」
後輩は突っ立ってる。なんなんだ〜? 産業スパイかよ? 冗談だろ〜?

inserted by FC2 system