恋する季節 18

 スタンドに寄ってついでに給油しとこうと思った僕だったが、早くも裏切られるのであった。
「あ、あそこっ! ねーねー」
僕の後ろから肩を叩いて指差す稲垣。明るいネオン。こういう時にこういう施設が都合よく見つかるものだ。一見すると何の変哲もないモダンなビル、複合カ フェと言うか、カラオケボックスと言うか、しかしラブホには違いない。あ〜あ、やっぱり……。車を停める。ちなみに10時前である。入ると既に混んでるみ たいで、部屋のパネルは全部消えていた。案内待ちをする間稲垣は化粧室に駆け込んだ。
「……お食事ご注文の際はリモコンで画面操作して下さい。テーブルの上に説明書がありますので」
とフロントで言われて鍵渡された部屋はまあそれなりに今っぽさが演出されたこぎれいな空間であった。モダンな白い床には毛足の長いラグが敷かれ、赤いソ ファや黄色い椅子がなんかポップである。これがラブホ? と思う。だがベッドはでかいヤツがドーンと構えててやっぱりラブホ、だ。よく見ると椅子もエッチ なかたちしてるし。ベッドは低くて黒い、ウォーターベッドのようだ。稲垣は「キレイキレイ」とはしゃいで、さっき言われたリモコンを手に持った。たく、何 もかも見た目重視だよな。僕はそのモヘアみたいなラグの前のソファにどかっと腰を下ろしてまずうーんと背伸びした。
「ねぇ、なにか頼んでいい? お腹空いちゃった〜」
稲垣は画面上であれこれ品を決め、僕にも尋ねた。ピッと押してオーダ−したのは、生ハムのフルーツ添え、自家製ベーコンのクラブサンド、米沢牛のステーキ……と中々豪華である。
「あたし、先にお風呂入ってくるね」
稲垣はさっさと服を脱ぎ、仕切られた向こうの浴室スペースに行った。「わ〜ジャグジー」とまた大きな声。「ね、先に食べちゃわないでよ」「食わねえよ」 シャーという音。「は〜あ」僕はラックに並んでいるDVDとゲームソフトの中から適当に選んでPS2に入れた。いきなり全裸で股を広げてくくられた美少女 のアニメ画像が浮かび上がってくる。なんだ? これ。エッチホテル限定版なのか。アニメながらリアルなびらびらだ。もがき嫌がるその股間に男の手が伸びて きてゆっくり愛撫する。女は最初は抵抗するがだんだん感じてきて目が虚ろになっていく。そこでクレジット。一応ストーリーらしきものがあるらしく、過去に 傷を負い心を閉ざしてしまった大富豪の青年に母親が女を与えて彼を回復させようと企てるのだが、最初は愛玩具として彼に仕えていた女が性に目覚めると同時 に、朝から晩まで生活を共にすることによってだんだんと彼に深い感情を呼び起こす存在となっていく、というものである。冒頭のシーンはめぼしい女を何人か さらってきて縛り上げて男自身に選ばせているところだ。それを選択する所からゲームは始まり、選ばれた性奴隷は極秘のラボに送られて記憶を抜かれ(どう やって抜くんだ?)、男とともに愛欲の世界に身を投じていく。『philosophy』とタイトルだけは高尚だが深くもなんともなく、最初から最後まで裸 とセックスばっかりの要するにエロゲ−である。特に会話がポイントで、女との対話によって彼は人間らしい思索を取り戻していく(選択によっては猟奇殺人的 な展開にもなってしまう)らしい。ナマもの主義の僕としてはとても最後までやる気は起こらんが、えげつない実写ビデオ見るよりいいかぁと思って女を選んで いると、僕を呼ぶ声がした。
「ねえ、入らないの?」
僕は「ん」と呟いてゲームを一時停止し、立ち上がった。ガラス張りのジャグジーだがすでに曇っていて中の様子は見えない。洗面台の下には洗濯乾燥機まで あって、僕は服を脱ぐと彼女のと一緒に中に入れてコースを選択し、ボタンを押した。ガラスのドアを開く。そこは大きなシェル型の浴槽とシャワーだけで洗い 場はなく、稲垣は気持ちよさげに気泡とソープでぶくぶくの白い液体に寝そべっていた。僕も浸かって心の中で『あああ〜』とリラックス。日本人だなあ、極 楽……。
「エッチなことしちゃダメよ」
すかさず彼女が言う。
「しねーよ」
稲垣はふふっと笑う。
「ね、ここキレイで新鮮な気分にならない? こんなところでやるの? って感じ」
「じゃあ風呂はいってメシ食って帰るか? トイレもあるし」
「や〜ん、違うってば。はじめてだもん、ホテル。ドキドキしちゃう」
「はじめてなのか」
「やあね、だからキョ−スケとは、よ」
「なあんだ」
「ふふ」
彼女はピトと体を寄せる。泡のマッサージに加え柔らかい体を感じてやっぱり僕は冷静じゃいられない。考えてみれば最初から全部うまく誘導されてるなあ。海といいラブホといい出来過ぎてるぞ。
「高校生みたいよね」
稲垣はポツッと言った。また急な振り。僕は「はあ?」と思う。
「高校生? ラブホテルでセックスするのが? 今時の、だろ?」
「違うよぉ。高校生の時、ドキドキしながらはじめてラブホテル行ってしたときのこと思い出したの」
「ああ、なーる……。オレは経験なかったけどなあ」
「えへ、そうなの? あたしね、高校の時付き合ってた人とはじめてホテルでエッチしたの。同級生で、真剣に好きだった」
「前言ってたヤツ?」
彼女は頷く。
「処女と童貞だったのよ。あたしもうこの人しかいないってくらい好きで向こうもそうだったから、みんなにも言われてたの。あんたたち結婚してるみたいだ ねって。いつも一緒にいたの。でもある日、『お前より好きな人できた』って言われた。その瞬間頭の中が真白になっちゃった。が〜〜〜ん……とかそういうん じゃなくて、崖から突き落とされていつまでも底に落ちていく感じ。『誰?』って聞いたけど教えてくれなかった。もう何も考えられなくなったわ。学校行くの も嫌になった。だってその相手の人、同じ高校の先生だったんだもん。ひどいよ、ひどすぎるってわんわん泣いた。親に転校したいって言ったり。おまけに生理 が遅れちゃって気が気じゃなかったの、できてたらどうしようって。先生さえいなければアイツにも相談できたのに……。結果的に違っていたけど、あたしが立 ち直るにはえっちしかなかった。一人で辛抱するには残酷すぎるもの。友達に紹介してもらって他の高校の男の子と遊ぶようになったわ。グループで遊んで気が 合いそうだとすぐえっちした。大学入ってもそんな感じで色んな男と寝た。でもあの時もしかしたら結婚してたかもしれない、幸せになっていたかもしれないっ てそれがいつも根底にあったからどんな人でも彼以上に思えなかった。恋愛しようにもまたふられるのが恐くて中々本気になれなかった。ずーっと。もう10年 よ。10年間、あたしはあの時の彼の言葉におびえていたの」
「それではじめてそいつを超える男に出会ったわけだ。佐久間専務の秘書になって」
僕は遂に言及した。彼女はちょっと驚いた顔をしてすぐに元の表情に戻った。
「どうして?」
「そう聞いたからさ」
「……噂を? 専務は関係ないって言ったでしょ」
でも清水はお前から専務とのこと相談されたって言ってたけど? と突き詰めたいところだが僕は黙っていた。彼女の話しはどこまで真実なのだろうか。いや、それよりもさっさと結論に辿り着きたい。
「ところでオレはどういう位置関係?」
「だから……、何でもありな同僚っていうか」
僕はふんふんと首だけ頷く。
「でもあたしにとっては今まで付き合ってきたどんな男よりもほっとするの。本当よ。結婚とか恋愛とかそういう面倒くさいのなしでずっと一緒にいたい。抱かれていたい。アイツとはもう別れるわ」
稲垣は僕に首をもたげた。濡れててはっきりしないが泣いてるような表情にも見えた。僕はなんとなくその唇にキスをした。彼女は首にしがみついてきて抱き締 める。トプンと二人の体が沈んで僕は栓を抜いた。ゴォォと泡は小さな穴に吸い込まれていき、僕らは湯の抜けたタブで泡だらけのまま抱き合っていた。

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