恋する季節 12

 土曜日。門前仲町の稲垣の家近くで彼女を拾い、最初で最後のドライブへ。僕は無地シャ ツにパンツ、彼女はノースリーブの夏らしい襟付きのボーダーワンピースにミュール、化粧もナチュラルでばっちりなのはマスカラくらい……といたって普通の デートって感じだ。しかしまあれっきとした他人の婚約者である。僕と二人きり近場の海や街に出かけて万一人目についちゃまずかろうと、適当に車で流すこと になった(僕としてはやましい感情はないのだが。イマイチ納得いかないな)。
 とりあえず彼女の指示で高崎を目指す。そこは彼女の実家のある所だ。
「なんだか安易でしょ。新潟まで車でも新幹線でも一本なの。ご近所さんって感じ」
「んな言い方するな。それ言うなら東京〜仙台だって同じじゃないか」
僕は苦笑した。全く……いやいや結婚しようなんて気がしれないよ。
「親同士盛り上がっちゃってさ。いやになっちゃう」
「だからもう一度話し合えって」
「う……ん」
稲垣はうつむく。世話やけるなあ。どうしてそこで黙ってしまうんだ? 僕は高速を降りて赤城山方面に向かった。稲垣は車窓をみながら別の話をはじめた。
「……妹がね、赤城山のホテルのフロントで働いてるの」
「へえ」
「あたしと違ってすごくしっかりした子なの。高校出てすぐ就職したんだけど、お金ためるのが趣味で1000万たまったら自分でお店やりたいって言ってたわ」
「感心だなあ」
「そう。男遊びもしないしね。あたしと違って」
「そういう言い方もよくないな」
「比べられるんだもん。あたしそれがいやで東京に出てきたの」
「でも世間的に見ればお前も立派なOLじゃないか」
「そうなんだけど……。やっぱあるじゃない、『奥手』で真面目な女の子の方がよく見られるのって」
「古いな」
「古いのよ、ウチって。あたしが軽そうな男と付き合うの、ものすごくいやがってたもん。どんなにテストの成績がよくてもほめられたことがなかったわ。そんなだからアイツを実家に連れて帰った時はとんでもなく驚かれたの」
「やっとまともな男を連れて来たって?」
僕が言って二人で笑った。
「そうよ。親には受けがいいのよ。ああいう男」
カモフラージュなのか? まさか上司と不倫してるなんて言えないだろうしなあ。そのくらいは僕にも理解できるが。しかし親に自分を認めてもらいたい、という理由から結婚するのはあまりに幼稚である。
「だからって急ぐことはないだろう」
「もう疲れたんだもん」
稲垣は肩を落とした。
「疲れたって。まだ26だろうが。ウチの会社でもお前より年上で独身のキャリアウーマンはわんさかいるぞ。このまま秘書続けたって少しも変じゃないだろうに。何こだわってんだよ」
そう言うと、稲垣はまた黙ってしまった。じっと外の山の景色を見てる。疲れたというのは……専務との不倫に、なのか。
「どこか止まるか?」
仕方ないので適当なドライブインで車を止める。日ざしはきついが風は涼やかだ。遠くに谷川岳が見える。夏休みになると登山客がわんさか押し寄せるのだろう。
「なんかオレ、お前に言われて以来この車買い替えたくなったんだけど」
キーをロックして僕は言った。回りに並んでる車は大型のレジャーカーやコロンとしたかわいらしい形のワゴンばっかだ。おなじみのセダンはともかくクーペなんて恥ずかしいかも。
「えへへ、そう?」
「ちょうど車検だし」
「じゃあ新しい車見に行こっか」
「お前なあ」
「いいじゃん、行こうよ」
稲垣は僕の腕にぴとっと体を寄せ、そこのレストランへ入った。
 中は混んでいたがなんとか僕ら分の席は空いていたようで、窓際の隅の丸いテーブルへ案 内された。ウェイトレスは僕がランチを二つ注文すると陽気にオーダーを繰り返した。黒人の女の子だ。こんな田舎で意外な気がしたが、他の客と話してるのを 聞いてると、近くの町の過疎対策のひとつで留学生としてそこの老夫婦の世話になっていたのだが、日本が気に入って今はタレントになるためにここで金稼ぎを してるらしい。あっちゃこっちゃに色んな人間がいるものだ。僕がぼんやりしてると稲垣は「ねえねえ、さっきの話だけど」ときりだし続きを喋りはじめた。
「最近さあ、後ろがフラットになる車が流行ってるよね。あれってやっぱ中で……しちゃおうってノリなんだろうね」
「またそっちの話か。お前下ネタになると目が輝くな」
「ふふ、だってただでできるじゃん。見た目ちっこいけど中は天井高くて結構広いよね」
「知らねーよ。最近車見に行ってないもん」
「だから今から見に行こうよ」
「えー、面倒くさいよ」
「買いたいって言ったじゃん」
「言ったけど……何でお前と見に行かなきゃならないんだよ」
「あたしそういうの好きなの。車とかモデルルームとか見に行ったりするの」
「ダンナと行けばいいだろうが」
「えー、できないもの。もう家建ててるし」
「変なヤツ」
「行きたーい」
ランチが運ばれても稲垣はそんな調子で、僕はまあいつものことだが食べ物を選り分けながら受け答えしていた。そして遂に「うん……」と言ってしまったのである。
 「じゃ、引き返すぞ」
「は〜い」
僕は車を東京方面に進めた。まだ午後の早い時間である。高速道はそう混んでなかった。車のショールーム回りたいなんて……郊外の適当な店行ってみればいい か、と僕ももう投げやりだった。とにかく結婚の話さえしなければ稲垣は御機嫌で、ペラペラ車の話をしていた。
「あたしボルボとか行ってみたいの」
「外車なんてやだよ」
「見るだけー」
「や・だ。しつこくDMとか送ってきたらどうすんだ」
「細かいこと言うなぁ……」
「細かいって……結婚決まった女が他の男と車なんか見に行くか? 他にやること山ほどあるんじゃないのか」
稲垣はきゅっと口を尖らせ「またそんなこと……」もごもご呟いた。ふっと目が動く。
「ゴメーン、トイレ休憩したい」
通り過ぎようとしている標識を見て言った。あともう少しで都内という地点。僕は三芳PAに車を入れた。

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