恋する季節 34

「稲垣。ほら、来いよ」
「ん〜〜」
寝室にて。先にベッドに入って僕は彼女を呼んだ。稲垣は風呂上りにまたさっきの服を着て鏡の前に立ってる。
「お前なあ」
はーあと息をついて僕は枕にどさっと頭を落とした。ほぼ正方形に近い寝室のドアのすぐ横に姿見が埋め込んであって、僕の全身だって映せるくらい大きい。彼女はその前でまたまたポーズをとってるわけだ。
「これさあ、かわいいんだけどさあ」
「……何だよ。まさか気に入らないんで返品したいってんじゃないだろうな」
僕は枕に右の頬くっつけたまま言った。もういい加減にして……。実は足も少しばかりだるいのだ。さっさとやることやって寝てしまおうと思っていたのに。女の買い物は後を引く……。
「違うよお。これ、ブラなしで着たほうがかわいいんじゃないかなって」
「何?」
ノーブラ?? 僕はすぐに「ダメダメ」と否定する。
「何でよ」
「何でって、当たり前だろう、そんなレースのヒラヒラしたヤツ。透けるぞ」
「上にジャケット着ちゃうもん」
「それでもわかるよ。何でまたそんなやらしーこと言うんだよ」
「だって〜。最近またブラがきつくなってきたんだもん」
って、また……。僕は言葉を返せない。
 余裕の発言とも取れる彼女の言い草。自慢のラブバディ。現に今だってノーブラ、つけてないのに彼女の胸はつんつん立ってて、ちょっと離れていてもその先端にはドキッとさせられる。別に僕は巨乳フェチじゃないが、毎回毎回それでそそられてるのだな(スケベ)。
「……大体さあ、これ下着だし、別に変じゃないよね」
そう言ってまた鏡の前で腰を振り振りする。もう知らない……。僕は枕に顔をうつぶせた。
「変だと思うけどな……」
そう呟くが彼女に聞こえたかどうか。あやしい、あやしい、そんな格好で何をしようというのだ……。
「ん〜〜。でもちょっとスース―するかなあ。かわいいブラのストラップ重ねる手もあるなあ。……あっ、ねえねえ、明日ブラ見に行ってもいい??」
えー、また買い物ぉ……。僕はますます枕に沈み込む。
「そろそろ新しいの買おうかな。あっ、そうしよ、そうしよ、ブーツ買ってもらっちゃったからお金あるしっ。ねー、明日も付き合ってよっ」
「ん……」
僕はすっかりその気が失せ、途端に猛烈な睡魔に襲われる……。
「代官山にもあったよね〜、かわいいお店っ」
反対に彼女の声はドンドン明るくなっていった。
「うん……」
また代官山?……それから彼女は1人でぶつぶつ言っていたが、僕はくーーっと眠りにおちた。叩き起こされなかった所をみると当分鏡とにらめっこをしていたようだな(よくやるよ)。


 朝、昨日買った服とブーツ姿の稲垣に僕は付いて行った。
 代官山……。疲れは取れてるはずなのに足取りは軽くない。
「じゃあオレ、外で待ってるよ」
「は〜い」
さすがに一緒に中には入れなくて、僕は店からちょっと離れた位置で待つことにした。
 午前中にもかかわらずぞろぞろ続く人通り。地方からやって来た風なおばちゃん連れや学生……。そういう人間がやたら多いと感じるのはオレが年とった証拠 なのか。低い昔の建物も多い落ち着いた風情……。それが僕にはあまりいい感じに伝わってこない。僕は昔そんな古い武家屋敷みたいな家に住んでいて、古くさ いしきたりに縛られ、あんまりいい思い出がなかったからだ。
「あれ、こんにちは」
不意に話し掛けられた男の声に、僕はそれまで考えていたことをぱっと砕かれる。
 ナカガイチの顔がそこにあった。
「……どうも」
相変わらず営業スマイリ〜なヤツと対照的に僕はなるべく表情変えずに口を開いた。明るくするわけにもつんけんするわけにもいかない、微妙な空気。相手は(も?)女連れだ。
「今日はデートですか?」
チラッと周りを見ながら僕に聞く。「そうだよ」と僕は小さく呟いた。
「僕は買い物なんですが。今度のね、合コンに着ていく『シャツ』と『ネクタイ』を見ようと思って。彼女、会社の同僚なんですが、付き合ってもらってるんですよ」
別にオレが気にもしてないことを彼はべらべら喋る。ひょいと目をやると、ヤツの隣の中島風『できそうな』女が僕に軽く頭を下げた。
『ふ〜ん。コンパのかよ』
僕は何だかむっとして、言葉を飲み込んだ。こういうヤツにはなるべく喋らない方がよい。
「……いや、実は僕京都出身なもので、あんまり『こっち』の店詳しくないんですよね。いやあ、たくさんありすぎて出かけるのもつい億劫になってしまって……。それでいつも大事な用のあるときだけ友人に見てもらってるんですよ」
更に更にどうでもいいことを付け加える。あははと一見爽やかな笑顔に隠された本当の真意……、僕には痛いほど伝わるぞ。
「ああ、すみません、余計な話しちゃいましたね。ふふ、それじゃまた。稲垣さんにもよろしく」
余計なひとことのあと、ナカガイチは女と共に会釈して去って行った。
 稲垣がいないだけよかったというべきか……。僕はタバコを吸うのを忘れるほどヤツの挑発的な態度にむかついてしまう。
 ……何故京都出身者は自分のことを『地方』出身だと決して言わないのか?
 それは京都が『地方』だなどと思っていないからだ。これっぽっちも! 東京が日本の首都となって久しいが、実は京都はそれよりもっと古い歴史があり、京 都人は京都を日本の中心だと信じて疑わない。だから東京人が地方出身者を見下すのと同様のことが京都人にもいえていて、ものすごい誇りをもっているのであ る、『上方』的な……(まあ、オレのちっぽけな偏見に過ぎないのだが)。何でまたこんな所でこんなヤツに遭うんだ? あんまり好きじゃない場所で会いたく ないやつに遭遇するなんて。やっぱりオレは代官山苦手……。代官山と京都はオレのルートから外さねば。
 ……と、そんなことさえ考えてしまう(しょーもない)。
 僕が一人苦虫を潰してると、ようやく彼女が出てきた。袋を抱え、目的は果たしたようだ。
「えへへ〜、おまたせ。3セットも買っちゃった」
ご機嫌な彼女。ついさっきまでここにいたヤツのことを全然知らないで。当たり前なんだが……。妙に腹立ってくる。
「……どうしたのお? 怒ってる? そんなに時間かからなかったでしょ?」
ぶすっとしてるんだろう、僕の顔に接近して彼女は言った。きらきらでっかい目……。金髪が僕の鼻にかかる。
「ね? ご飯食べよ」
ちゅってきそうなくらい接近して言われたにもかかわらず、僕は冷たく返した。
「そうだな。まだ時間があるな。お前、その髪染め直して来い」
「えっ?」
彼女は大きな目をもっと大きくして僕を見つめた。ちょっと顔を離す。
「どうしたの?」
『いや、実はナカガイチに会ってさ……』
なあんて軽く言えるわけなく、僕は顔をこわばらせたまま命令口調を続けた。
「もう秋なんだよ、秋。それらしい色にしてこい。オレが金払ってやる」
「何よお、突然」
「前から言ってたことだ。ちょうどいいじゃないか。ここならいくらでも店あるだろ。行って来い。オレは家で待ってる」
「何? 変なの。ご飯はどうするのよ」
「後でいいだろ。さっき食ったばかりだ」
「あん」
僕は強引に彼女の持っていた袋を取り、僕の財布から金を出して渡した。
「もう……」
僕の豹変ぶりにさすがの彼女も従わざるを得ず、けげんな顔をしたまま代官山の街に1人消えて行った。


 「ねー、これでいい?」
髪を栗色に変えた稲垣が戻ってきたのはそれから4時間以上後だった。
「秋の色って……。いつもの所じゃないし、よくわかんないからおまかせしちゃった。混んでたから5軒くらい回ったんだから」
そういう彼女はふわふわパーマを落ち着かせ、長さは肩の先ではねるくらい。色合いも雰囲気も服に似合っている。
「そろそろ飽きてきてたし、これもいいかもね。キャミの色にぴったり〜」
さも鏡を見たそうに「どうどう?」とくるくるターンする彼女に近づいて僕は言った。
「いや、それはまだとっておこう」
「は?」
彼女は動くのをやめ、びっくりした顔を僕に向けた。
「この服はここに置いとけ。下着もだ」
「えーー? 何でよ」
彼女は大きな声を出した。
「……合コンが終わるまでな。それまでオレが預かっておく」
僕は言った。そのひとことで彼女は「ははーん」と言う顔になって、
「もう、まだ疑ってるの? だから着て行かないって言ってるじゃん」
「信じられんな」
「どうしてよ。ひっどーい」
「ひどい? オレがいるのに合コンなんてするお前のがもっとひどいぞ」
「もう、いじわる」
「あやしいことばっかりするからだ。服も靴も下着まで揃えて……。何考えてるんだ?」
「もう、そんなの偶然よ〜〜」
「とにかくこの服はダメ。下着もダメ。終わったら返してやる」
「ちょっと〜、キョースケ……」
彼女は慌て、かなり抵抗したが僕は断じて首を縦に振らなかった。
「じゃあ、ブーツは?」
と最後に聞かれ、それだけは許可してやったのだが(ちょっと考えたが)。

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