恋する季節 14

「ここでいい」
と彼女が言ったのは新木場の工場やら倉庫が並んでる殺風景な臨海地区を走っている時。もちろん本人の家は通り過ぎていた。「こんな所?」と僕は思う。
「何か食い物買ってこなくていいのか?」
「いい」
僕は右折してそのどうしようもなく無機質な地区の果ての路地に車を乗り上げた。もう夕方だ。灰色の建物とアスファルトがいかにも蒸し暑そうで、僕らは外へ出ようともしなかった。見えるのは海と言っても都市の放水路の終点でありとてもキレイとは言えない。
「何度も言うようで申し訳ないが、もう一度話し合ってみろよ」
僕は言った。もうそれしかなかった。
「うん」
「な?」
うつむいてる稲垣に顔を寄せる。稲垣の大きな目が潤んでいた。
「稲垣」
「勇気をちょうだい」
ぱっとこちらを向いた。涙が流れた。
「いながき……」
僕は、驚いた。
「勇気をちょうだいよ、あたしに」
声を荒げ、稲垣は泣きながら僕にしがみついた。
「どうしたんだよ、稲垣。変だよ、お前」
肩を抱いてなだめようとした。理解できない。どうしてそんなに思いつめる?
「こうしてないとどん底に落っこちてくようなの」
結婚するなと言ってほしかったのか、専務に。僕はそのことを彼女にびしっと指摘してやりたかったが、僕が口に出すのはお門違いなんだろう……。四堂が言っていた「ひどいことする」とは、稲垣をこんな風に泣かせてしまうことなのか。一人で不安を抱え込んで……。
「ずっとあたしといて。体だけの関係でいいから」
「稲垣」
「あたしね、高校の時生理がすごく遅れたことがあったの。でもそのとき付き合ってた男にも親にも言えなくて、友達の付き添いでこっそり遠くの産婦人科に 行ったの。もう心臓がどきどきしたなんてものじゃなかったわ。診察台のカーテンの向こうに先生がいて……看護婦さんに『そこに足のせて下さい』って言われ たの。恥ずかしい格好よ。診られてる間すっごいこわかった。『どうしよう、どうしよう』って。でも違ってて……心の底からほっとした。それから避妊のこと 考えるようになったの」
稲垣の涙は止まらない。
「妊娠するのは恐いけどセックスはやめられなかった。だんだん男に避妊してって言うのが億劫になってきてリングを入れたわ。それでも完璧な避妊にはならな いけど……。優しいよね、キョ−スケって。今までの男の中でキョ−スケと専務だけだったよ、ちゃんと避妊のこと考えてくれたの」
やっと、稲垣の口から専務というひとことが出てきた。
「それも変じゃないか。普通考えるだろ」
稲垣は首を振った。
「だめよ。みんなこっちから言わないとしないもの。それもすっごい面倒くさがって。あたしがリング入れてるって言うともう全然お構いなしよ」
「オレ、小心者なんだよ」
「そういうの小心者って言う?」
稲垣は顔を上げてちょっと笑った。
「だろう、妊娠したって言われるとびびるもん」
「でも嬉しかったよ」
「ていうか、んなことでほめられてもあんまり嬉しくないな」
アレつけるかつけないかで分けられてもねえ……。男にはピンとこない。
「それはそうとダンナはどうなんだよ?」
「アイツは論外よ。やるやらないの前に下手なんだもん。童貞だったのかもしれないわ」
「ひどいこと言うなあ」
「本当だもん。いつもじれったかった」
「でももうしないんだろ?」
僕が言うと稲垣はコクンと首を下げた。
「ちゃんと話し合えよ」
「うん」
なんとか、彼女の涙はおさまったようだ。涙を拭い、僕に笑ってみせる。ふと僕はタバコを吸いたくてたまらなくなり、外に出ようとドアに手をかけた。
「ね、そっち行っていい?」
その言葉に動作が止められる。僕が「ん」という暇もなく稲垣は大胆に足を広げ僕にまたがった。
「ちょうどいいね」
僕の首に腕を回した。
「何がだよ」
「えへへ、えっちするのに」
稲垣は舌の先を出して見せた。
「まーた、エロ」
「自分だってやってるんでしょ?」
「やらない男がいるもんか」
「やー、えっちなんだから。車って外から見られてるみたいで変に興奮するのよ」
「まあな。はじめてしたとき思ったよ」
「後ろでするの?」
「いや」
「じゃ、座ったまま?」
僕は答えなかった。なんか……誘導されてるみたいだ。
「お願い、今日はあたしの好きにさせてほしいな」
やっぱりそうくるのか。
「今日はやめとけよ」
「いやだ、したい」
「稲垣」
と言いながら僕の下半身はぐりぐり刺激され熱くなってる。こんな体勢じゃな……。あーもういいか、全て清算のための儀式ってことで。僕は首でダッシュボードを差した。
「そこに入ってるよ」
「なに?」
「アレ」
「やだ、いらないわ」
稲垣はとろんとした目と唇を僕に向けると抱きついてきた。完全にいつものパターン。オーイ、何だったんだよ、さっきの涙は……。

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